資格編第二弾となる今回はなぜ資格がなぜ必要なのか、そして資格の数がこんなにも多いのかってことについてお話していきまっしゅ!
資格がこんなにも多い理由は、複雑化した社会に対応するため!なんですが、そうは言われてもなかなかピンと来ない方もいらっしゃるかと思いますので、詳しく見ていきましょう
なんのこっちゃという方も多いでしょうから詳しくみていきましょう。
わざわざ「国家」がつく資格があるのはなんで?
資格とは?で説明した通り資格には大きく分けて、①国家資格②公的資格③民間資格の三つがあるっていうお話をしたと思うんだけど、今回の記事では中でも国家資格に着目をしていこうと思います。
2022年現在、日本においては200種類を超える国家資格が存在しています。もちろん最初からこんなに多くの国家資格が存在してませんでした。
資格とは?で記した通り医師免許制定の頃には医師ぐらいしか資格は無かったわけですし、自動車が一般的では無かった時代には免許はない、パソコンが存在しなければITストラテジストの資格もない。
そんな中200種類を超える国家資格ですが、そもそもなぜ「国家」がわざわざ資格を発行する必要があるのでしょうか。
資格とは?で、『資格を得ているということは、資格を発行している機関が資格を持っている人間の特定分野における一定の能力を保証しているということなのです。』と言ったけどなんで保証する必要があるのか!ということに関しては言及しなかったのでここで触れることにします。
なぜ国が資格を定めるのか、それは資格を定めないと社会に大きな損害が出る可能性があるからです。
この大きな影響には
①その業務・行動を行う際に資格できちんその業務や行動に関わる人を管轄しないと人命・社会・インフラ*に損害を与える
例:
②社会において、需要がある/必要にも関わらず、何をすればいいかわからない/供給が足りない時、そして後々には①に発展する可能性があるもの
などが含まれます。
下につけておいた国家資格の一覧を見てみて下さい。いくつかの資格はおそらくなんだこれ…ってなると思うんですが、多くの資格は上の①②に当てはまると思います。
資格がないとどんな社会になっちゃうの?
資格は社会に大きな損害が出ると言いましたが、その損害とはどのような者なのかもう少し考えてみましょう。
色んな国家資格を例にとって考える事ができるんだけど、ここではまず運転免許を考えてみましょう。
運転免許が存在しない世界。そこでは誰もが車を運転できます。
学校に間に合わない!やばい!と思った高校生のあなたは車を運転しようと思い、こっそり玄関に置いてある車の鍵を借ります。
「ちょっと車借りるね!」
「こら!だめでしょ!遅刻はうけいれなさい!」
そんな忠告を後ろに聞き流しながら、エンジンをふかし、アクセルを踏み込み学校にむかってぶんぶんと車をかっとばしていきます。
交差点にさしかかりました。二車線あるうちの左車線にいたあなた。
交差点を直進する寸前で、学校に行くには直進ではなく、右折が必要なことに気が付きました。
「あ!学校は右のほうじゃん!さーて右折するか!よっこいしょ」
あ!右車線後ろから直進しようとした車がつっこんできます!ドカン!
「…なんで、車につっこまれなきゃいけないだ…ママごめんなさい…」
目の前が暗くなっていきます…
…ちょっとふざけて書きましたが、資格がない世界に生きるとどうなるかの想像は容易についたのではないでしょうか。
医師資格が無ければ医療の世界は江戸時代に逆戻り。風の薬に塗り薬が出たり、打撲したのに風邪薬がでたり、下手したらつばぬっときゃ治るよそんなん!という世界が来るかもしれません。ガス主任技術者の資格が無ければ、我々の世界はガスをつかなかったり、つけるたび爆発したり、建築士資格がなければ朝起きたら家が崩れてたり、航空管制官がいなかったら飛行機は毎日空港の上で衝突して、原子炉主任技術者がいなかったら原子力発電はメルトダウンばっかりおこしているかもしれない。
資格のない世界、想像できましたか?
社会はなぜ資格を必要とするのか
さて、社会への影響が資格を定めるという話をしましたが、少し変わった説明のスタイルで今回は説明してみます。
この複雑になった社会を生き抜く我々の仕組みについて鮮やかに解説をしたドイツの社会学者のニクラス・ルーマンの視点から見てみましょう。
ルーマンは、社会は非常に複雑で、なぜか人々は自らの命すらも全く見ず知らずの他人に任せていることに違和感を覚えました。
例えば皆さんが日々使うであろう電車の運転手さん。なぜ彼、彼女らが突如暴走したり、ブレーキを掛け間違ったりしないとみんな信じているのだと思いますか?
他にも車。歩道を歩いていて、なおかつガードレールがないとき、なぜ運転手がつっこんでいないと思うのでしょうか。
ルーマンはその答えを「信頼」にあるとしました。我々は「信頼」によって本来非常に複雑に考えなければいけない社会の仕組みを単純化していると考えたのです。つまり、電車の運転手さんは、シゴトに忠実で、きちんと運転技術は学んでいて、精神的な病や寝不足などの厳しい身体的な状況にあるわけでもないという「信頼」を意識的に・無意識的に行うことで、この複雑な社会をみんなが乗りこなしているに違いないと考えたのです。
ある意味で「資格」はこの「信頼」を補強する存在のようなものと言えるでしょう。
人口の増加だけでなく、増加したサービス、インターネットの出現などによってどんどんと社会は複雑化して来ています。
社会が複雑化し、複雑になった社会を支えるために新しいインフラやサービスが登場するとその新しい技術をきちんと扱うことを社会は要求し資格は益々増加していきます。
10年後、20年後、30年後、もしかしたら私たちの想像もつかない国家資格がうまれてるかもしれません。
まとめ
・資格が多いのは社会がどんどんと複雑になっているから
・社会が複雑になると要求される業務はより多く、より複雑になる
・国家資格は国家が、自分達が要件を定めないと社会に甚大な影響が出る可能性があると考える行為・業務について制定している
・資格がない社会は大きな混乱が生まれている可能性があった
・社会がうまく回っている一因には「信頼」があり、資格はその「信頼」を補強する存在である
以上です。
次回は資格の闇、資格ビジネスをとりまく資格の興味深い性質をおっていきます。